2011年3月13日日曜日

堅牢な防波堤をあざ笑うかのような大津波に絶句

高校2年の初夏だったから、1983年のこと。秋田沖を震源とする日本海中部地震というのがあった。津波で数十人の犠牲者を出したほか、私が住んでいた埼玉・浦和でも揺れを感じた大きな地震だった。

その直後、私は修学旅行で東北を回った。秋田へは直接行かなかったが、現地のバスガイドが地震当時の様子を話してくれたのはかすかに覚えている。

その修学旅行で、浄土ヶ浜や釜石、松島などを回った。途中、釜石界隈では、堅牢な防波堤を見た。チリ地震で大津波に遭った教訓から作ったものだと、ガイドさんが説明していた。私は思った。「ここまでのものが必要なのか?」批判的、というよりすごすぎるという意味でそう感じた。


地震前の釜石
そして28年後、巨大地震による未曾有の大津波が、私の高校時代の足跡をごっそり奪い去っていった。波が去ったあとに、汚れたスポンジのような立方体のコンクリートが無造作に並んでいた。まるで人類の浅知恵を大海原があざ笑うかのように。

絶対の守りなどない。では人間はどうすればいいのか。答えは全く見つからない。

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